そんなこんなで時は流れて、なんだかんだで僕は元気です

結構社会的なことで打ちのめされたりしてる。私の人生こういう風にしたのは私だから全部私が背負っていかなきゃいけない。だからもっと強くならなきゃ。有能とか無能とか生きてる価値を誰かが決めててそれに従わなきゃいけないなんてそんなはずないのに、結局私はまだその価値観の中にいるんだって、それをぶつけられるたびにそう思う。社会で生きていくためにはそうでなきゃいけないのか?お金を稼げることが人生の全てなのか?結局みんな経済を回すために無理やり競争させられてるだけだ。お金のあるところだけが人生の全てじゃない。

 

私はすごく恵まれてる。なのになんでこんなに病んでしまうんだろうと思うことがよくある。少し前の私は本当の意味で生きてることに対して現実感がなく、嫌なことがあるとすぐ死んでしまおうとしていた。自分の機嫌を自分で取れなかったことも大きいと思う。今は死のうかなと思うことがかなり減った。少し前死のうとして救急車に運ばれたことを友達に話した時、「〇〇ちゃんが死んだら悲しい」と言われた。その時私は私が死んだら好きな人が悲しんでくれるかな、とばかり思っていて、本当に大事にしなくてはいけない友だちの気持ちを考えていなかった。いつも見守ってくれて仲良くしてる人たちのことを、私は見えていなかったのかもしれない。だからこの恵まれてる環境をもっと大事にしたいと思った。それでも落ち込むことはあるかもしれないけど、私には頼れる人がいるんだと思ってその人たちを悲しませないように生きていきたいと思う。

 

私が行かなかったライブでみんなが楽しそうだとすごく苦しくなっちゃう。なんでなんだろう。

 

出会い系サークルで知り合った男の人に自分の病気のこと話したら「そういうのって自分でもなってた可能性あるから○○さんがそうでもなんとも思わない」って言われて、素敵な考え方だな〜って思った。

もう下半身に来るような男ばっかり追いかけてるより、安心していられる人と付き合ったりした方がいいのかなって思う。

 

私結構今まで父親の存在無かったことにしてて今一緒に暮らしてないからいっかって軽く考えようとしてたけど、大人になってここまで父親のことが人格に影響してるのがかなりビックリしてる。

私の父親はいわゆるアスペ(ASD)で話し合いもできないし人の気持ちも分からない。自分が気に入らないことがあったらことある事に怒鳴り散らすし自分の感情が抑えられなくて怒り狂って目の前で椅子の足折ったりする。子どもたちの教育やお世話には一切関与しないし、自分が不機嫌になったらイライラを前面に出してそれで人をコントロールしようとする。

私は子どもの頃泣いても喚いても父親に構ってもらった経験がない。18の頃薬大量服用した時も助けを求めても無視された。だからかな、私を子ども扱いしてくれる優しい男の人が目の前に現れると依存してしまう。子どもの頃満たされなかった穴を埋めようとしてしまう。実際依存する男性に対しては付き合いたいとかそういう感情はわかない。私のこと知って欲しいとか私のこと1番理解して欲しいって気持ちだけでいっぱいになる。

良くない、良くないよなぁ。早く父親の呪縛解けて幸せになりたいよ。それでも父親が私が産まれた時に買った私が二十歳になったら一緒に飲むワインとかがずっと置いてあって、最初はちゃんと愛そうとしててくれてたんだって苦しくなる。どうしてこうなっちゃったんだろうな、